ホットヨガを始めて丸二年。これまでの実績備忘録!
小学生の娘にお願いして写真を撮ってもらう。一番好きな「サイドアングル」ポーズ!
ホットヨガ始めて丸二年が経ちました!
「二年目を迎えたらそれまでの実績を記録しとこう!」
それを目標に今日まで頑張って来ました!まずは、結果から。
●結果報告●
- 二年間全く寝込むことが無かった(風邪/インフルどちらにも罹患せず)
- 二年間で体重-4kg減量
- 久しぶりに会う人に必ず「痩せた!」っと言われる
今流行りの「ホットヨガ」。ふと思い立って二年前からレッスンを始めました。このところ人気も高いようで「ホットヨガとかやっちゃって!」なんて、ネット上でも揶揄されるのを見かけたりします、、。まぁ、言いたい人には言わせておくとして、、通算260回以上続けていると、それなりに見えてくることもあるので、ここまでの総括を一つの区切りとして記録。
ヨガをどうして続けているのか?
私は現在48歳。高三を頭に、中二、小三、と3人の子を持つフルタイムのワーキングマザーである。「まだ死にはしないけれど、人生かなりツンデ来てる状況」に入りつつある。「子育てと仕事の両立って大変!(T_T)」とねじり鉢巻き大車輪で駆け抜けた30代も束の間、今は「教育費って大変(>_<;) 」っとシビアに実感している年代でもある。しかも、自分名義の住宅ローンもシッカリ抱えている。
「大変な事して毎日がんばってるんだから、『自分ご褒美』は必要〜!」
と、そこそこ収入を持ってる女性にありがちな「ご褒美甘やかし」は散々やって来た。その「なれの果て」は「ぜい肉」と「過体重」と「不定憂訴」となって、しっかり身体に蓄積された。「ツケ」はいつか払わなければならないのである。
ヨガを始めて、-4kg減ったがその前から減量の努力はしていて、最大時から計算すると、-10kg減らしている。人間、10kg減ると生活も変わるし、他人からの見られ方が圧倒的に変わる、、というのが率直な実感だ。(そして、服の選択肢がぱ〜っと開ける(^ ^)
でも、美容やらオシャレやらは「二次的副産物」として得られた結果で、それを目当てにヨガを続けているのかというと、少し違う。
一番の動機は、
「もうすぐ、女が終わろうとしているのに、自分の身体をこんなゾンザイに扱って、肉体を与えてくれた神様に申し訳が立た無いんじゃないのか?」
という思いからである。ハタと「自分の持ち物の価値」に改めて気付いたという所だろうか。
私には「甲状腺ガン」を患って手術した経験がある。ヨガを始める少し前、46歳の時の事だ。幸い予後は良好で、今は全く普通の生活を送っているが、自分が「ガンになる」という現実と実際に手術して、そこから完治してみると、月並みではあるが「ちゃんと生き無いと申し訳ない。」と心底理解した。
手術に無事耐え、どんどん傷が治癒してゆく自分の身体の回復力を目の当たりにすると、嫌でも「手持ちの資産価値」に目を向けるようになる。
大きく体力を損なう病気では無かったのが幸いで、検診で「甲状腺の腫瘍」を指摘されたのをきっかけに、最初はかなり面倒くさがりながら、専門病院に受診へ出向いた結果の発見だった。
甲状腺ガンはかなり予後の良い種類のガンだったのもラッキーだったと思う。(今でも定期的に経過観察を欠かしていない。)
入院中の病室では「これで◯回目だ、、。」と、力なく話す、私よりもずっと年長の「先輩達」の話し声が良く聞こえて来ていた。恐らく、内臓系の疾患だろう。緩和措置を色々試みるも、スッキリと治らない。
食事という滋養を補うのに欠かせ無い器官がままなら無いから、一度悪くなると、ズルズルと「悪循環スパイラル」に陥ってしまって、そこから抜け出せず病いを跳ね返す力も湧いて来ない、、。
「内蔵を患うと、こんなに生気を失うのか、、。」
と思うほど、彼女達の「憂鬱な空気」は重たく、僅か一週間の入院だったが、この経験は強烈に私の中に残った。
いつまでも若くは無いし、当たり前だが「みんな死に向って生き続けているんだ。」と思うと、少しでも「永く良好な状態でこの心身を使い切らなくちゃ。」そう思ったから、自然と「当たり前な事」としてヨガを続けられている。
今の所、更年期障害と言われている症状は迎えておらず、むしろ30代の頃よりも「すこぶる快調健康」で、ちょっと減量の調子に乗りすぎて「貧血」を気にしなければならない程度だ。(今度受診して来よう。。)
自分をじっくり見つめるヨガ
具体的なポーズがどうとか、何が効いたとかは、、きっと色々な人が、他に書かれていると思うので、ハウツーはそちらに譲るとして、ここでは、ヨガで得られた「習慣」について考えてみたい。振り返ると、一番大きな学びは
「自分自身を自分でみつめる」
ということを、徹底して指導されることだ。。これはきっとヨガの根幹を成す考え方なんだろうと思う。レッスンでも「ポーズが正しいかどうか」は一応レクチャーしてくれるが、あまりそこに重きを置いていない。出来ても、出来なくても、それは人それぞれ。そこよりも「自分の中での前後の差分を認識せよ。」と、とにかく説かれる。
「呼吸の方法とその使い分け」「レッスン前とレッスン後の自分の身体の状態の変化」「他人と比べず、他人が気になるなら目をつぶってしまってもいい。」
とまで言うほど、ヨガでは「自己」へ意識を徹底して向ける。これを繰り返すうちに
「自分の身体の変化にいち早く気がつく」
という癖がついた。
二年間一度も寝込まなかったのは「自分の体調に敏感になれた」結果であって、ヨガが「健康にしてくれた」のでは無く、「健康を保つセンサーを身につけられた」これが一番の収穫だと思う。
「マズイ!身体が冷えた体調崩すな。」
と察知すれは、薬を飲むなり、早く寝るなり調整をして、その状態から、それ以上、坂道を下らずに復調することが出来る。自分の身体に責任を持つとはこのことなんだなと実感する。
ヨガでどんな感じに身体が変化したのか?
最初は、自分の身体を見つめて、健康維持をして、、という認識だったし、効果はゆっくり、ゆっくりであまり目に見えた変化は訪れ無い。「ホットヨガ」は室温の高い所で強制的に汗を出すので、大した運動量でも無いのに、最初から「やった感」は大きい。。が、目に見えた変化がすぐに得られるかというと、そうでも無い。
「あれ?ワンサイズ小さい服でぴったりだな。」
と思えるようになったのは、始めてから一年後だったように思う。
ほんの少しづつ「燃焼体質」なっていくらしく、気がつくと「ドカ食い」もしなくなっていた。そして「出来てるつもりのポーズ」を取るのが精一杯だったのが「もっとちゃんとポーズを深めたい」と欲が出て来るから不思議だ。
ちゃんとしたポーズを取るにはどうしたらいい?なぜ腕が後ろに回ら無いんだろう??と考えはじめると、
「そうか、、背中にも贅肉が残っているからだ。。」
と気付く!(爆笑)
人は「目の前の事」しか見えていないんだなと、これで痛感した。背中も身体の一部なのに「バックスタイル」は、私もずっと無頓着だった。
面白いことに、鏡に映る「見える範囲」は早くから「締れて」来て、結果がわかりやすいのだが、まさに「目の届かない裏面」は、難攻不落でなかなか「不良負債」を吐き出してはくれない。
「見えない所へうっちゃってしまって無かった事にする!」とは良く言ったもので、これまでの「ツケ」を一身に受け止めてくれていた「自分にとっての僻地」である「裏面」を現在進行形で、丁寧にほぐしている最中だ。
肩甲骨はナカナカ寄らないし、開きの悪い股関節はそう簡単に柔らかくはならない。それでも、二年前よりはずっと良く肩も関節も回るようにはなって来ている。
因みに、関節の柔らかさと「フクヨカサ」はあまり相関関係が無いらしく、
「え?!この人が?」
という体型(失礼!)の人で、割と楽々と柔軟をする人も居る。(そんな時は軽く『チッ』と思ったりもする(^_^;)
恐らく、お相撲さんが股割りが出来るのと同じ理屈なんだろうが、そんな人は筋力面は弱かったりと、やっぱり、人それぞれ「デコボコ」があるんだなぁと、自分を見つめつつも、同じ空間でやっている「見知らぬ他人」を、チラチラと観察させてもらったりもしている。
「他人とは比べ無い!」と言いながらも、自分がどんなタイプの体質と体型なのか、より「客観的に位置づける」には他者との比較は分かりやすく、あまり、とらわれ無い程度に、参考にさせてもらってたりもする。
ヨガスタジオ模様
だから、という訳では無いが、ヨガスタジオでは友達が居ない。
むしろ「お友達を仲良く誘って」という、女性特有の「仲間意識」を入り込ませてしまうと、余計な事が多くなって(やれ、一緒に行こうだとか、帰りにお茶しようとか、、)ヨガに集中出来ないと思うので、黙々と「サッと行って、サッと帰る」を信条にしている。
二年通い続けて、何となく顔を知ってるなぁって人は、大抵似た感じの「一匹狼タイプ」で、パウダールームで連れ立ってお喋りしているグループは殆ど見かけない。
その代わり、インストラクターさん達とは行き帰りにチョチョイ話をして、向こうも顔を覚えてくれている。
ローテーションの頻繁なスタジオなので、10ヶ月位で、スタッフが一巡する高い循環率なのだが、これは推測だが運営会社側の「経営ノウハウ」では無いかと思う。
女性専用スタジオ、女性のみのスタッフ運営なら、きっと「短期テンポラリー型」で人が回転する運用の方が、長期安定で上手く行きそうな気がする。何しろ「人(インストラクターさん)」が居なければ成り立たない業態なので、スタッフがいかに継続していけるかが、ビジネスの「要」なのだろう。
面倒な決め事は当事者間で決めさせるのでは無く、中央が「ルール」としてキッチリ決めて、細かい差異の調整を現場、現場でやっている感じである。ビジネスモデルとしても、なかなか面白いなぁと思うけど、今回は話が逸れるので、それはまた、何かの機会に。
最後に実績記録と目標
最後に、結果に至るまでのざっくりとした実績記録。
●実績記録●
総数:約260回(1回当たり1時間のレッスン)
期間:2年
開始〜半年位まで → 週1回ペース(土日のどちらか)
半年〜1年9ヶ月まで → 週2回以上ペース(土日祝日、月10回平均)
2016年2月〜現在 → 週3回以上ペース(月12回平均)
●永遠の目標●
あまりに痛くて到底出来るようになるとは思えない「鳩のポーズ」を何とか出来るようにしたい!
次にヨガ関連でブログを書くとしたら「鳩のポーズ」が出来るようになった時かな!
(^ ^)以上が二年目の記録である。
「人生がときめく片づけの魔法」でカタをつける!
あまりに不真面目で不定期にしか更新しないブログですが、ちょこっとのつもりで読んだ本が、意外に面白く、忘れてしまうのももったいないので、備忘録程度に書評を!
電車のドア張り広告でよく見かけた方も多いのではないだろうか。「ときめく」だの「魔法」だの、、なんて乙女な言葉、役職付きのおじ様方に向かって言ったら「黙殺!」されそうな淡い色調が、かえって印象的な本で、正直言えば広告を見ていた時は「サンマークさんまたやっちゃって。。。」とも思っていた。(でも、マーケティング的には正しい!とも)
ちょっと、Amazonのブックレビューを覗いてみると、案の定、星一つの「辛口」書評をつけてる人は、私が無作為にざっと10人程度見てみても、男性で、そこそこ年齢の上の人が多い印象だ。これは予想だが、、20代後半から30代前半の男性層は「そもそも読んで無さそう」な気もする。。。恐らく若い男性の辞書に「片づけ」という言葉は載っていないのだろう。
そして、これまた予想通り、最高評価の星五つを付けているのは女性が多い。著者である「こんまり」さんのクライアントの多くが、女性であることも関係しているが、一般的に「共感能力が高い」とされている女性層に、この若き「片づけコンサルタント」の最も伝えたいことが、スイートスポットにハマったかの如くに感じられるのだと思う。
実は私は「片付け系」の本はこれまで一冊も読んだことが無く、今回の「人生がときめく片づけの魔法」が初体験である(笑)
というのも、私も自他共に認める「片づけ魔」で、こんまりさんが学生時代から「追及」してきたことを、私も実践してきた経験がある。
だから「あるある!わかるわかる!」で楽しく読んでしまった。
彼女の提唱する具体的な「方法論」は私が至った結論とほぼ一緒だし、陥った(?)失敗もほぼ一緒だった。
だた、彼女の方が数百倍ウワテで、自分の身辺のみならず「他者」への個別ケースにまで身を投じているところに「プロフェッショナル」としての底堅さを感じる。ふんわりとあどけない印象の著者の外見だけで、全てを判った気になるのは早計だろう。
何よりも、この著書がアメリカで大変にヒットし「もっとも影響を与えた100人」に、こんまりさんが選ばれている事実だ。
辛口に「はすに構えた書評」をしているおじ様方も今一度、「なぜ評価されているのか」をじっくり考えるだけの価値があるのではないかと思うし、今回私が読もうと思った動機もそこにある。
具体的な整理方法は、おこがましいながら「この方法で間違って無かった」と、ほのかな自信に繋がる感じで、あまり「大きな発見!」は無かったが、むしろ最も参考になったのは
「片づけが苦手な家族」との関係のあり方
だ。
私事で恐縮だが、家族親類で「片づけレベル」が同じなのは、実の父だけで、それ以外(母、妹、夫、子ども達、従兄弟、叔母)残念ながら「う〜ん」ということが多い。
母はリサイクルショップで買って来たものを、やっぱり自分では使わないと「押し付け」ようとするし、従姉妹が「捨てられない子ども服」が叔母(もったいないと拾って来る人)→母(やっぱりもったいないと思うけど必要無い人)、経由でやって来てしまったこともある。
「捨てられない人の代わりに捨ててあげる役」をやりっぱなしで、正直「自分がすり減る」時期もあったのだが、こんまりさんは著作の中で
「お母さんも自分だけのテリトリーを持って、まずそこを徹底的に納得行くまで綺麗に整理しておく。」
という記述に「ああそうだ!そこがまず先だ!」と気づかされた。
「捨てられない家族にイライラするときは、まず自分の中に原因がある場合が多い。」とは、多くのケースを見て来ている人ならではの視点だろう。
私も、数年前から「自分だけの部屋」を勝手に作って、その中に好きなもの、気に入っているものを置いて「気の済むまで整理」したところ、それ以前よりもぐっと「家族の散らかし」に対する不満度合いが低くなった(決して消えた訳では無いけれど)
辛口書評の中には
「家族持ちの解決方法が書いとらん!これは若い独身女性の為にしか役にたたん!」
などと書いている人も居たが、評者は読み落としているだけである。
彼女はちゃんと、体験を踏まえて示唆している。
「まずは自分の範囲を整える。その影響は少なからず家族にも影響を与える。」
片づけが得意な人は、ともすると「散らかし屋さん」や「押し付け屋さん」からの被害者意識に苛まれてしまうが、方法はいろいろ工夫しながらも「要らない」と言い続ければその意思はそのうち伝わってゆく(前述の騒動も、相当に嫌な顔をしたらそれっきり二度目は無かった!)
あまりに「片づけ好き」が身辺では少数派なので、自分の方が「気がおかしい」のではないのかと、悩んだこともあったが、この著作がこれだけの反響を起こしているのは、それだけ、実際の悩みが深いのだと思う。
子ども達もある程度の年齢になったら「自分の範囲」を与えて、そこを整える練習をさせた方が、個々に落ち着くんだなぁ、、というのも、実体験でも感じている。
そして、最後に最も大事だと思われるのは、やはりこの著作の根幹を成すキーワード
「その物に触れて『ときめき』を感じるかどうか」
の一言に尽きる。
私は、アメリカで受けている最大の理由はこれでは無いかと思った。
この「その物に実際に触れて確認する」を、逃げ無しに、実直に「毎ケース絶対に実行する」彼女のプロ意識には、本当に脱帽するが、この言葉をもう一段深く解釈出来る手がかりが、著作の後半に出て来る。
「モノがここへ来た来歴と、その役割を真摯に考え、ちゃんと送り出す」
彼女の「モノ」に対する向き合い方は、それだけ真剣なのだ。そしてその真剣さは、実は日本人が無意識レベルで持っている、「万物に宿る霊」を尊ぶ、非常に原初的な宗教観に案外通じているんだな、、という感想を持った。
今では、あまり意識しなくなったが「〇〇供養」(針でも人形でも、はたまた、お飾りでも。。)という行事が、どんな地方でも残っていると思うが、「役割を終えて送り出す」という知恵は、温暖湿潤な気候を持つ日本やアジア地域では、とても必要なことだったのかもしれない。
「モノの一つ一つを真剣に考える」が故に、「捨てられない」という状況にも陥るし、「だからこそ送り出す(捨てる)」という解も取れる。相反する二つの行為は、実は「物事の裏と表」なのかも知れないと気づかされた。
滞ったものをそのままにしておくのは「物」に対して、はたまた「自分」に対して、蔑ろにしているとも言え、その「小さな蔑ろ」が社会全体へ及ぼす影響を、侮ってはいけないなぁと気づかされる内容だった。
ワーキングマザー洗濯機を買う
奇跡的に偶然写っている写真を見つけた!結婚して最初に買った国産のドラム式洗濯乾燥機。当時はまだ「ナショナル」名だった(97年頃)
話題になり始めていた「ドラム式洗濯機」の国産化に成功して、欧米ではスタンダードなドラム式に乾燥機能を付けた代物。当時から働き続けるつもりだった私は「松下が作ったんだから、けっこういいかな?」と期待して買った。(余談だけど、この頃は片道2時間半かけて新幹線通勤もしていた。)
でも、残念ながら「乾燥機」としては殆ど役立たず。かなり少ない分量にしても、単に洗濯物を「温めてる」ばかりで、この機能は早々に見切ってしまった。
松下と並んで、東芝もスウェーデンのエレクトララック社から、ライセンスを受けて、ドラム式を売り出していた。このジャンルは他のメーカーは手を出さない「二強」の世界だったと記憶してる。
なんでも、ドラムを回転させるために、本体にある程度の「重量」が無いと洗濯機が動いてしまうらしく(脱水時にガタガタと洗濯機が前にせり出すらしい)その「重量」をどうもたせるかが、開発の際の「泣き所」だったとか。
欧米では、その点は「石造り住宅」の歴史が長いからか、無頓着に重たくしてるけど、木造住宅が主流で特に床材を補強するなんて発想が無い日本の住宅では、あまり「重たく」ならずに、回転の勢いを打ち消す仕組みを入れたとか、、(この辺りは初号機を買う時に調べたきりだから、ウル覚え。)
それでも、ナショナルのこの洗濯機は100kgもあって、設置の度に大の大人が二人掛かり。2度の引越しに連れて歩いたが、毎回「申し訳ありません(~_~;)」って屈強な引越しのアルバイトのお兄さん達に謝ったものである。
どうして、ドラム式にしたかと言えば、少しヨーロッパで生活をした事があった実母や妹が「ドラム式洗濯機っていい!」と褒めていたからである。(ついでを言えば食洗機も)
「少ない水量で、叩き洗いするから、繊維を傷めず、綺麗に洗える」
が、一般的なドラム式洗濯機の利点で、そこに乾燥機能が加われば「完璧」だろうと、、。
まぁ、今振り返ると、最初のトライは失敗になるのが、物の常で、前述した通り「乾燥機能」はイマイチどころか、殆ど「オマケの役立たず機能」、洗い上がりや衣類の保ちも、正直言えばそんなに差を感じ無かった。加えて、子ども服は先に本人の方が大きくなってすぐに着られなくなるしね。
多分、縦型洗濯機でも得られるベネフィットは殆ど変わらなかったと思えるが、強いて言うなら、洗濯機の天面がフラットで物置きとして使い易かった、、ってくらいだろうか(^_^;)
そして、三代目としてやって来たのが、このパナソニック製。
洗濯処理容量は先代からさらに1kg増えたにも関わらず、製品容積も重量も軽量化が進んでいる。
初代は100kg、二代目東芝製は90kg、今回の三代目は80kgで、16年間に約20kgの減量に成功したらしい。大きさも少し全面にせり出しているものの、幅も高さも二代目よりコンパクトになっている。
勿論、ヒートポンプ式乾燥機能付きだけど、今回期待しているのが「温水機能付き洗浄」だったりする。
実は、先代の東芝製は乾燥機能は抜群だったものの、どうも洗濯物が「黄ばむ」「くすむ」という悩みがあった。多少化繊が入った物はそんなに目立た無いんだけれど、コットン100%のタオルやら、子供たちのTシャツが、半年くらい経つと、それとな〜く「煮しめた」感じに布地が「くすんで」しまう。
可愛いキャラクターがプリントされた白いTシャツなどは、見るも無残。少しづつ黄ばんで行くから、すぐには気がつか無いんだけど、ある日「あ!」と思ってしまう。
これには随分と悩んでしまい、ネットでもいろいろ調べてみた。最初は「洗いが足り無い」のかと思って、洗剤を多め多めにしてたけど、それはどうやら「逆効果」
ドラム式は水量が少ないから、洗剤の繊維残留が多くてこれが原因でくすむ
という文献もあったりで、慌てて洗剤量を少なくしたり、すすぎ回数を多くしたり、はたまた洗剤を変えてみたり。。でも、今ひとつ「パッ」とした成果は感じられ無い。別の資料によると「高温(40度以上)のお湯」に濃い目の洗剤でつけ置きしてから、洗濯すると、一度くすんでしまった洗濯物が元へ戻るとあるのだが。。
その不利点を、カバーしてるのか、今回のパナソニックは「洗い」に重点が置かれている。(泡で洗うとかね)
効果のほどは、これから使ってだが、つくづく思うのは、日本の家電の「仕様のマメな積み上げ努力」だ。
減量しかり、機能改良しかり、「新規開拓でブルーオーシャン一番乗り!」はあんまり得意では無いけれど、少しづつの不満や不利点を、着実に潰して「安定的」な製品を出して来るなぁと改めて思う。
安倍さんは「成長戦略三本の矢」のうちで「女性の社会での活躍」を挙げているが、確かに先進国に比べたら、日本の「女性の活躍度」は見劣りするのかも知れない。
「日本で子育てしながら働くのは厳しくて大変」という評には「もっともだ」と思いつつ、この「世界でも稀に発達した家電群」に、かなり助けられて来たなぁという実感も、また事実である。
たかが洗濯機、されど洗濯機で、どれだけのエンジニアと商品企画者が真剣に取り組んで来てくれたのかと思うと、本当に感謝感謝なのである。
今宵も、洗濯機は回り、ルンバも掃除をしてくれている。そうやって出来た時間でこんなブログが書けるのだから、日本はあながち捨てたもんでも無いなと思ったりもする。
(追記)
ウッカリ「風呂水利用をした事が無い」の言及を忘れました。
理由は、洗濯機設置位置をキッチンに近くしてしまって、お風呂から遠くて給水ホースが届かないから。(*^^*)
初代はそもそも「風呂水利用機能」が無かったから、脱衣所にあっても風呂水は使えず、二代目にはその機能があっても風呂桶が遠かったという、、。
でも、例え近くても、そもそもドラム式は使う水量が少なくて「すすぎの最後は水道水がいいかなぁ。」なんて事を言い出したら、大した容量使わないのに何時までも風呂水を溜めとくのも、子どもが小さいうちはかえって危険だし、浴室のカビ防止を考えたら、あまりメリットを感じ無かったから。
キッチン近くに洗濯機があると、夕飯の支度をしながら、洗濯が並行処理出来て非常に便利で、そっちを取りました。脱衣所に洗濯機が無くても、洗濯カゴを移動させればいいだけの話だったり、年頃の娘が居るとお風呂に入ってると脱衣所に鍵かけちゃったりね。(-_^)ニーズは動いて行くので、出来るだけ分離可能にしておくと対応し易いのかな、なんて思います。
家事動線を考える機会のある方は、是非ご一考を!